関ヶ原古戦場の石田三成陣にあった関ヶ原観光案内図。
関ヶ原はとても歩きじゃまわれない範囲でした。
決戦場は平地だけど、それ以外は山々に囲まれていて、各人が陣を張っていたというのがこの場に来てよくわかる。
うむ。陣も張りやすいし、合戦が起きるべくして起きた場所なんでしょうな。
石田三成が陣どる笹尾山のふもとに島左近の陣がありました。
島左近は「三成に過ぎたるものが2つあり。島の左近と佐和山の城。」(三成には不釣り合いなほど素晴らしいものが2つある。ひとつが島左近と佐和山の城の意味。)といわれるほどの人物であったと伝えられています。
竹矢来(たけやらい)という防御柵の奥が島左近の陣というけど、平地からすぐのところで、こんなところに陣を張ったら攻められたらイチコロじゃん。
それくらい、信用されて陣を張っていたということなんでしょうね。
ちなみに「佐和山城」とは、石田三成の居城だったところで、現在は城跡しか残っていません。
名城名高い城だったそうで、今は残っていないのがとっても残念。
山の中に入ろうと入口の前に立つと「クマ出没注意!」の看板が!
2010年は滋賀県でよくクマが出てきたそうです。
看板の下のボックスの中を見てみると、クマ避けの鈴があるはずなんだけど、すでに鈴は使われてしまっていました。
島左近ののぼりです。
島左近は、三成が家禄の半分を与えてまで仕官にしたがったという逸材。
その勇猛果敢な戦い方から、「鬼の左近」とも呼ばれていたそうです。
島左近陣の竹矢来の柵の内側に入ってみました。
一本一本はするどくて、先端恐怖症の人は嫌かも。こんなもので防御できるのかなぁ。
当時は鉄砲がすでに入っていたから一時しのぎにしかならなかったでしょうに・・・。
戦場の雰囲気はよくでています。
写真は石田三成の旗印。
「大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)」と記されています。
意味どころか読み方すら知らなかったのはその場でワタシだけ。
みんなどんだけ三成が好きなんだ!?
意味は「All for one, one for all.」と説明されてやっとわかりました。
「ひとりが万人のために、万人が一人のために」ということらしいです。
「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる」と一般的に言われているけど、近代以前にその意味を記した文献はないそうで、「一」を「かつ」と読み縁起の良い文字を重ねたという説もあるそうです。
石田三成陣に行く途中で見つけた赤く色づいた木。
他の木がまだ色づいていないぶん、この木だけ異常に赤くて目立っていました。
まるで兵士が流した血で色づいたような。それでも美しい。
石田三成の陣に向かうべく、山を登っていきます。昨日から山の上り下りばかりしているなぁ。
小谷城ハイキングでしっかり筋肉痛になり、登るのがちょっと大変。
攻める側の気分を味わうべく、石田三成陣へ登っていく合間に竹矢来の外から撮影してみました。
ここを駆け上って柵の前後で槍や刀を突き合ったのかなぁ。
中腹まで上がってきて振り返って撮影。
ここまでで半分くらいの道のり。でも、けっこう登りました。降りるのが大変そう・・・。
前日の小谷城といい、なんでこんなに登ってるんだろう。
石田三成陣跡まであとちょっと。
あの「のぼり」のあたりに三成がいたのでしょうか。