山陽の城めぐり 山口(4) 木戸孝允旧宅を訪ねる

城下町散策が続きます。

御成道から城下町の中へ。まだ見ていなかったよ。木戸孝允の旧宅

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木戸孝允旧宅

木戸孝允は言わずと知れた維新の志士。
「木戸孝允」と名乗るものの、明治維新の前は偽名をよく使っていました。
幕末は「桂」姓、維新後は「木戸」姓???

もともとは藩医である和田家の長男としてこのおうちに生まれました。
8歳で桂家の養子になったものの、養母が亡くなって和田家に戻ってきたそうな。
その後、江戸に出るまでの約20年間をこのおうちで過ごしました。

初めは桂小五郎、33歳の時に藩命として木戸貫治、木戸準一郎と改めたのだけれど、孝允が「実名」ということだそうな。

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木戸孝允旧宅

入口には「木戸孝允生誕地」の石碑。

この旧宅は大正時代になって子孫である木戸幸一氏より寄贈されたもので、木戸孝允が生まれた部屋や庭園などの当時の様子が残っているそうな。
これは楽しみ。

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木戸孝允旧宅

門をくぐると・・・うわぁ!昔のおうちだ!
門の外から見た時にはわからなかったけれど、敷地はけっこう広い。
そして小さな建物がいくつか。当時の厠とかかな。
商家で御成門に面した菊屋家住宅や旧久保田家と比べるとみすぼらしい感じがするけれど、多くの従業員が寝泊まりするわけでもないし、一家が生活するのには十分な広さです。
玄関のそばには井戸も残っている。

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木戸孝允旧宅

おぉぉ。昔のおうちという感じだ!

うちの田舎も昔はこんな感じだったっけ。
トイレとかお風呂とか、ちょっと遠いところにあって、夜中に起きて行くのが怖かったんだよなぁ。

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萩城

玄関にあった萩城の写真。今は無き天守がある!
天守台からせり出ていて、そして赤瓦だったという天守。見てみたかったなぁ。

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木戸孝允旧宅

床の間には木戸孝允が「和田小五郎」時代に書いたと伝えられている「今日」の文字の手習い(習字)が。
7,8歳頃のものだったといいます。
掛け軸の中には朱書きで「以っての外よろし(もってのほかよろし)」という採点結果が書いてあります。
上出来なものにしかつかない褒め言葉で、この言葉が書いてあると城下で大評判になったそうな。
うーん。良い字だ!

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木戸孝允旧宅のお庭

お庭もある。
建物を通りから見た時はそんなに広いように見えなかったんだけど、木戸孝允旧宅は、2帖から8帖まで1階は12間2階には4.5帖と2帖の2間が残っています。
思った以上に広い!
2階もあるし、2階には誰が暮らしていたんだろうなぁ。と想像してみるのも楽しい。

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木戸孝允旧宅 仏間

仏壇の置き場が確保されている仏間があったり、

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木戸孝允旧宅 誕生の間

誕生の間」と呼ばれるお部屋もあったり。

お風呂もあったということから、やっぱりお金持ちのおうちだったんだろうな。

 

<まだまだ続く 萩城下町編>

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