2015年5月の山陽の城めぐりの旅。山口県 萩の旅 最終回です。
萩城のふもとから三の丸、城下町を自転車を飛ばして約20分で東萩駅付近の松陰神社まで戻ってきました。驚異のスピード。
吉田松陰を祀っている松陰神社へ到着。
松陰神社は1890年(明治23年)に建てられて以来、吉田松陰にあずかって学問の神様として慕われています。境内には松下村塾や吉田松陰歴史館があります。
なんと年季の入った建物だ!
七代藩主の毛利重就(もうりしげたか)が別邸に建てた茶室で、昭和34年に松陰神社の境内に移築されました。
茶室というとこじんまりした建物を思い浮かべるけど、案内版によると、花月式の茶会が催すことができるように設計された建物だそうな。花月式の茶会では、八畳以上の広間が必要とされていたんですって。となると、中はやっぱり一間が広いのかな。
そしてよくテレビで見るあの建物が!
おぉ。松下村塾だ!
吉田松陰が運営していた私塾、松下村塾の建物です。
もとはといえば八畳一間だったものを、のちに十畳半の間を増築したという。
この角度から見るとそう広くは見えないんだけど、裏側にまわるとそこそこ広さがあって、私塾というには使いやすそうな小部屋に分かれているのがわかる。
お。これはまさに大河ドラマ「花燃ゆ」の第一話でみんなが集まって建てていた小屋だわ!
入ることはできないけれど、柵越しでも中の様子がよくわかる。
中にはここを巣立っていった維新の志士たちや明治の元勲たちの写真がたくさん。
松陰先生をはじめ、木戸孝允(桂小五郎)、前原一誠、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋などが掲げられています。
吉田松陰は明らかに「絵」とわかるんだけど、久坂玄瑞で有名なこの絵だか写真。写真なのかなぁ?
大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の杉文の最初の旦那さんになる方。眉目秀麗-いわゆるイケメンと言われていたらしいけど、うーん。この絵だか写真だかだとわからないよー。
ちなみに「歴史秘話ヒストリア」の桂小五郎のエピソードでやっていたけど、洋装の桂小五郎(当時は木戸孝允)の写真は日本初のブロマイドだったらしいです。
久坂玄瑞のイケメン具合もよく見てみたい。
ワタシ的には幕末のイケメンNo.1は土方歳三なんだけどな。
真面目な話に戻って。
松下村塾は「吉田松陰が作った私塾」と説明されることが多いけれど、本来は松陰の叔父である玉木文之進(たまきぶんのしん)がこの場所からほど近い自宅に「松下村塾」と名付けた私塾を開塾し、さらに親戚が引き継ぎ、そして安政4年(1857年)に松陰がこの地で引き継いで運営していました。松下村塾は松陰の親族の三代にわたってうけつがれてきたのね。
現代の学習塾のように先生の教卓があり、生徒達が向かい側に並んで座っているのではなく、机をコの字型に配置し、ディベートしやすいようになっていたそうな。
別に「今日はこの議題で話し合いましょう」と先生から提案して授業を進めたわけではなく、各々、学習を進めていると疑問が生じてくる。その疑問を周りにいる塾生達で話し合っていく、という方法だったようです。教科書からだけ学ぶわけではなく、「ものの考え方」や「意見の通し方」も見につけていったんでしょうな。
この松下村塾の建物。現存なのか復元なのかよくわからず。調べてみたのの、公式らしいホームページを見ても「現存」とか「現存を修復したもの」とか「模倣したもの」とかいろいろな書かれ方をしていて、よくわかりませんでした。
史跡名勝に登録されている、そして吉田松陰の誕生地はこことは別のところにあり、松下村塾の建物は「のちに作った十畳の間は、杉家の部屋をくっつけた」という記載があるものもあって、そう考えると別の場所からここに移築された???
調べれば調べるほどよくわからなくなるので、誰か真相を教えてください~。
そして敷地内にあるもう一軒のおうち。
吉田松陰の父である杉百合之助の旧宅。現在は「吉田松陰幽囚の旧宅」と呼ばれています。
松陰の父は団子岩というところに住んでいたらしいけど、親族の瀬能氏の所有であったこの家に移ってきたそうな。
こちらのおうちは意外と広く、明治時代に増築された茶室以外は当時の間取りのままらしい。
実子なのに松陰と名字が違うのは、松陰は叔父である山鹿流の兵学師範である吉田家に養子に入ったから。同じく山鹿流の兵学者だった玉木文之進も叔父だし、松陰の父は格式の高い長州藩士の家柄ではなかったみたいだけど、エリート一族だったのね。
松陰は伊豆下田港で黒船に密航しようとして失敗。
江戸の伝馬町の牢獄に収監されたのち、萩の野山獄へ移され、安政2年(1855年)に許されて萩に戻されて実家へ「お預け」(謹慎処分)となりました。
この角度から見るとそんなに広いおうちには見えないけれど、部屋数が多い!
8畳4室、6畳3室、4畳、3畳7分、3畳半・3畳および2畳各1室のほかに物置、土間もあるというかなり大きな家だったそうな。平屋でこれだけの部屋数って!
奥に部屋がいくつもあるのがわかる。
こちらが松陰が幽囚されていた部屋。せ・・・狭い!
もともとは四畳半だったところを神棚を置いたら三畳半になってしまったとのこと。
窓際に文机を置いてたら布団を敷くぐらいしかスペースがなかっただろうな。
「狭さ」感を煽るのが、入口が右側に1か所しかないこと。普通、こういったお屋敷は壁で区切られることはなく、ふすまで間仕切りされていて、開け放すと開放感があるんだけど、入口が一か所しかないと閉塞感を感じます。
ここで親族などが松陰の講義を聞き、やがて入門者が増えていき、私塾となっていきました。
安政4年に松下村塾に移るまでの一年半、ここが松陰の私塾だったわけです。
その後、安政5年に老中であった間部詮勝(まなべ あきかつ)の襲撃を企てたためにまた野山獄に入獄される前に約一カ月間、この部屋に幽囚されたというから、松陰先生、懲りないお人ですなぁ。
裏側にまわるとさらに広さがわかる。
どうやらこの吉田松陰幽囚の旧宅は当時の場所にあり、現存の建物のようです。
そして敷地の奥にある松陰神社はダイジェストで。
左上:松陰神社の鳥居 ここからは神社です。
右上:松陰神社の本殿 おみくじは「松陰先生の御教訓入り」です。
左下:吉田松陰歴史館 ものすごく年季の入った建物です。
右下:境内の売店で売っている松陰団子。柚子味噌がうまかった♪
中学生の修学旅行生が多い中、松陰団子でまったりとする大人がひとり。
だってここで何かしら食べておかないと、1時間30分のバスの中でおなかが減っちゃう。
最後の最後まで見どころ、おいしいものばかりで満喫した萩の旅でした。
さて、バスに乗って翌日の旅に備えるべく、新山口駅に向かうか。
この日に宿泊したのはJR新山口駅のすぐ向かいにある「東横イン 新山口駅新幹線口」。
新幹線口からすぐ近くなので、新幹線移動には便利なビジネスホテルです。
2~3分歩けばコンビニもすぐ。
ここら辺のビジネスホテルは夕食でカレーライスをサービスしてくれたりと、いろんなサービス合戦をやってます。松陰団子でおなかがいっぱいだったので、この日は出歩かず、ホテルのカレーですませ、早く眠りにつきました。
あ、レディースプランで行ったので、柚子と桜の入浴剤付きでした。
<岩国城編へ続く>
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