いよいよ天守の中に潜入!
天守の中に入ると中は明りとりのための窓があるけれど薄暗く、右側は天守台の石垣がむき出しで、天守の建物の黒壁も見えている。
この場所は天守の一階ではなく、接続廊下(つなぎろうか)というらしい。
天守の外壁は白漆喰+黒い腰板でおおわれている。
城郭の腰板は下見板張りという横にはられていることが多いのだけれど、案内板によると、備中松山城の腰板は縦方向にはられていて、竪板張りと呼ばれているそうです。
接続廊下と天守1階をつなぐ階段を上がって天守一階へ。
1階いは石落しが。
案内板によると張り出た姿が魚の鰓(えら)に似ていることから「鰓形窓」とも言われているそうな。
1階の窓から建物が見えた。あれはなんだろう???
・・・現存している建物、二重櫓だ!!!
あの建物の近くまで行けないものか・・・。
天守一階。広いぞ。
昭和の改修、平成の改修の様子がパネルで説明されています。
東側に突き出し部、北側には装束の間があったりと意外と複雑な造りをしています。
奥の大きな窓は城の正面で、武者窓(連子窓:れんじまど)。
案内板によると、正方形の角材でとがっている部分を外側に向けて設置しています。
外からは中の様子がうかがいにくく、中からは広角で狙えるようになっているのだそうな。
うん。確かに中からは狙えるようになっていました。
天守の中に囲炉裏(いろり)が!これは珍しいぞ。
備中松山城の天守は籠城にも備えて作られたといい、この囲炉裏は暖をとったり食事を作るために備わってていたと伝えられています。
お城の天守は「いざとなった時の立てこもり用」で作られていたというけれど、ここまで用意周到な天守は珍しい。
観光客は案内版も見ずに素通りしているけれど、これってすごいことなんだよぉぉぉ!
イザ、天守二階へ!
この時代の天守によくあることだけど、階段が急だ!
天守二階は一間のみ。
正面にあるのは「御社壇(ごしゃだん)」。
床の間かと思ったけど、扱いとしては「部屋」のようだ。
左右に「舞良戸(まいらど)」という引戸があって部屋が区切られています。
一段高くなっていたので床の間だと思ったけど、部屋なのか!
中には三ふりの宝剣がおさめられていて、そして天照大神をはじめとして摩利支天、八幡大菩薩、毘沙門天などその他もろもろ、水谷氏を守護していた神々が祀られているそうな。
天守の中で神社や宗教的施設があるところはあるけれど、ここまでたくさんの神を祀っている天守は珍しいのです。
そしてこの天守二階。
天井がはられていないので木組み枠組みがむき出し。
そして2階の床はものすごく淡白な造りでして、床板の隙間がから1階が見える。
怖っ!
かつての天守ってこういう作りだったんだろうな。
こういうお城は、お城に優しくまわりたいものです。
走りまわるなんてもってのほか!
1階に戻ります。
登ってきた時は一生懸命で気がつかなかったけれど、上から見ると急だなぁ。
そしてコンパクトにカーブしている。
降りるのが怖いぞ。
1階に下りて、奥にある小部屋へ。
ここも忘れてはならぬ!
階段を登って入ってみる。
中ではテレビが置かれて備中松山城についての解説VTRが流れていました。
小さなお部屋なんだけど・・・。
ここは引戸2枚で区切られた一段高い部屋で、装束の間と呼ばれています。
籠城の際の城主一家の御座所となったところ。
引戸で区切ることによって独立性を保ち、いざとなった時の自刃の場としても想定されていたようです。
案内板によると、籠城の時には床下ギリギリまで石を置き、忍びの者が侵入できないようにするそうな。
戦国時代のドラマによくある「攻め入られてどうしようもなくなって自害する」というシーン。
ドラマに出てくる部屋と比べると狭く感じるけど、でも、「いざとなったら自害する部屋です」と言われると、雰囲気が伝わってくる。
窓から外を眺めてみると。
おぉ!二重櫓を発見!
装束の間は天守正面から見ると一番奥。
そのさらに奥が二重櫓があるのね。あれ、見ることはできないのかなぁ。
天守のまわり、お散歩編に続く
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