備中松山城。天守まではまだ遠い。
大手門を突破して天守を目指す。
「備中松山城の写真」としてもうひとつ有名なスポット、三の平櫓東土塀が見えてきた!
大手門を抜けると左折し、土塀沿いにさらに右折。
右側には三の丸の石垣があって、あー。攻めたらこここから迎撃されるのねー。
土塀が始まるところ付近にも櫓があったようだ。
「大手櫓跡」という石碑が立っていました。
備中松山城の何がすごいって、天守や岩盤上の石垣もすごいんだけど、櫓が建っていた跡がしっかり残っているので、「ここから迎撃したんだろうな」というのが想像がつきやすい。
櫓跡だけでもいくつ見たかな。
明治に入って破却されるはずが、山麓の居館は壊されたものの、天守は放置され(こんな山の上のもの、壊すのも大変!)、「忘れられた城状態」だったことが幸いしていますな。
三の平櫓東土塀は手前の部分は現存していて、昭和の修復まではぼろっぼろの状態でした。
平成の大修復で鉄砲狭間や矢狭間がよみがえり、現在は白亜の白塗りが続く土塀になりました。
直線ではなく、登城道にそって緩いカーブを描いているのがキレイなのだ。
それにしても、コンクリート舗装してあるとはいえ、この段差、登りにくい。
一気に駆け上がりにくいところを右上の三の丸や左にあったであろう大手櫓、二の平櫓から撃たれたのかなぁ。
大手櫓のちょっと奥。
三の平櫓東土塀が始まるすぐそばにあったスペース。
ここには二の平櫓がありました。
うん。小さい櫓があったんだろうな。と思えるちょうどよいスペースが。
ゆる~いカーブを登った先は右側に三の丸。
土塀の脇を登ってきて見下ろしたところ。
左側の石垣の上が三の丸です。
三の丸跡には足軽番所と上番所(うわばんしょ)がありました。
狭すぎず、広すぎず、うん。おさまりがいいな(笑。
ここから見上げる石垣の迫力がすごい!
観光客はけっこう多かったんだけど、みなさん、登るのに一生懸命なのと、ここまでチェックするのは城ヲタぐらいなので、誰もいない。
石垣の写真、撮り放題でした。
石垣の一段上が厩曲輪(うまやぐるわ)で、今でいう駐車場だったところです。
その上がちょっとだけ段になっているところがあるけど、最上部が二の丸だそうです。
そしてまた登るよ。三の平櫓東土塀にそって上に上に。
登ったところで櫓。登ったところで櫓の繰り返し。
はいはい、狙われるってことね。
黒門跡も越え、まだ二の丸にも着かないんですかー!?
厩曲輪にきました。荷物を積んだ馬を置いていたところで、今でいう駐車場です。
ここも広いのだ。
あ!奥には大手門を通ったところから見えた岩盤の上にそびえ立つ壁だ!
石垣の段々。奥に見える一番上の段が二の丸です。
厩曲輪から眺める。すぐ下の緑に覆われたスペースが三の丸。
上から攻撃しやすいのだ。
天守どころか二の丸にもまだ着きません。
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