三渓園 外苑編。ここからは明治39年(1906年)の三渓園の開園当時から一般に公開されていたエリアの紹介です。
室町時代以降に建てられた時代の異なる移築建築物たちを見ていきます。
海岸門
御門と同じく内苑と外苑を分ける門であった海岸門。
建築年:江戸時代
移築年:大正時代
海岸門は御門と同じく京都の西方寺にあったもの。
凛々しい鬼瓦のそばには縁起物の桃がのっている。
海岸門は南側からの内苑の入口なのだけれど、海岸門から内苑に入ってしばらく歩くと・・・
「下馬」の指示が。
海岸門はさほど大きな門でもない。この「下馬」の石は本来の「下馬せよ」の指示として使われたのか、はたまた原三渓の珍コレクションか!?
重要文化財であり、室町時代の康正年(1457年)に建てられたという「旧燈明寺三重塔」には行かず、外苑の南側へ。三重塔は池を掘った土を小山に仕上げたその上に建っている。いつもなら登るのも苦ではない道も今回はあまりの暑さにくじけました。
さらに林洞庵という茶室のそばを通ったのだけど、昭和期に建てられたものなので今回はスルー。
(とにかく暑かったので体力温存!)
旧東慶寺仏殿を目指して歩いていると、東屋を発見!
初音茶屋
ちょうど一休みしたいところに現れた東屋は「初音茶屋」です。
たぶん復元だろうけど、当時はここで無料で麦茶がいただけたそうです。
敷地の半分近くを公開するだけでなく、お茶までふるまう。原三渓、太っ腹だな!
横笛庵
初音茶屋を過ぎると横笛庵が見えてくる。
建築年:不明
かやぶき屋根がかわいらしい田舎屋敷風の草庵。
奈良の法華寺からの移築ともいわれているけれど詳細は不明だそうな。
(光明皇后創建の寺でしょ!?事実だったらすごい!)
旧東慶寺仏殿
鎌倉にある幕府公認の「縁切り寺」「駆け込み寺」であったことから現在も「悪縁を絶つ」ことのご利益があるという東慶寺。明治時代になって縁切り寺法が廃止されたことから東慶寺は衰退して建物の維持が困難になっていきました。そこを救ったのが原三渓。明治40年(1907年)に当時の仏殿を三渓園へ移築しました。
今回、江戸時代初期の建物があるということで楽しみにしていたのですが、
修復中・・・
半解体修理というかなりおおがかりな修復中だったのだ・・・
建築年:江戸時代 寛永11年(1634年)
移築年:明治40年(1907年)
仏殿とは、仏像を置いて拝むための寺院建築。
三渓園を鎮護してもらう(災いから守ってもらう)ために移築してきたそうな。
これまでは「寛永11年に鎌倉で新築として作られた」とされてきたのですが、今回の修復工事で「徳川忠長の御殿の材料をリサイクルして、新材で補って寛永11年に鎌倉で新築された」とわかってきました。
徳川忠長と言えば、徳川家康の孫で、最初は甲府にいて駿府に移ったはず。
現地の修復工事中の案内板を見ると、『新編相模国風土記稿』と『鎌倉攬勝考(かまくららんしょうこう)』の東慶寺部分の「仏殿」の欄に下記の記述があるそうです。
「駿河亞相(するがあそう:大納言の意味)」忠長卿の旧館を移し賜ひ、寛永11年10月御建立あり」、その時の棟札を蔵せり」と記し、方丈の項において「是(これ)も同時、忠長卿の旧館を以て(もって)造らせ給ひしなり」と記す。
さらに、材質の調査をしたところ、質の高い材料と普通の材料があり、質の高い材料にはリユースされたと思われる謎の穴(痕跡)が見つかったそうです。
偶然とはいえ、原三渓の引きの強さが凄いな。徳川家絡みの建物と思われる建築物がここにもあったか!
お昼ごはんは園内で
さて、三渓園でお昼ごはん。庭園内には三渓園茶寮、雁ヶ音茶寮という2つの茶屋と待春軒というレストランがあります。本当は待春軒で原三渓が考案したという三渓そばをいただきたかったのだけど、この日は貸し切りで12:30過ぎまでは入れないとのこと。それまで待っていると大混雑しそうなので早々に茶屋で昼食とする。
左が三渓園茶寮。右は無料の休憩スペース、右奥の見切れているところに雁ヶ音茶屋がある。
さっと食べれる雁ヶ音茶屋にて三渓園ラーメンをいただく。
さっぱりとした醤油ラーメン。変に油の浮いていない、昔ながらの懐かしい味。
こういう味のラーメンを出すラーメン屋、昔はよくあったなぁ。
関東に住んでいるなら、数年に一度はこういうラーメンを食べたくなるんだよね。という味でした。
三渓園ラーメン 750円
旧燈明寺本堂
そして次は旧燈明寺本堂。
建築年:室町時代 康正3年(1457年)
移築年:昭和62年(1987年)
三重塔と同じ京都・木津川市の燈明寺の三重塔とともに移築されてきた本堂の建物。明治時代以降に燈明寺は衰退し、第二次世界大戦直後の台風の被害を受けたあと解体されたままになっていたところ、三重塔が移築されることに伴い本堂の建物資材も三渓園へ。
本堂の内部には仏像が置かれている。
三渓園の公式サイトに案内がありますが、燈明寺の本堂は宗派が何度か変わり、そのたびに本堂の建物も改造されたそうです。三渓園への移築のタイミングで最初に建てられた室町時代当初の「中世密教寺院様式」で復元されているそうです。
天井板がはられておらず、垂木が見えている。これが規則正しくて美しい。
これが室町時代に建てられた寺というものか。美しい。
外苑のたてものも満喫。最後に立ち寄った合掌造りの屋敷もこれまた素敵でした。
内部には入れて撮影もできた旧矢箆原家住宅。次回の更新で紹介します。
三渓園 旧矢箆原家住宅編 に続く
①鶴翔閣 横浜市指定有形文化財
②御門 横浜市指定有形文化財
③白雲邸 横浜市指定有形文化財
④臨春閣 重要文化財
⑤三渓記念館(博物館)
⑥亭樹
⑦月華殿 重要文化財
⑧金毛窟
⑨天授院 重要文化財
⑩聴秋閣 重要文化財
⑪春草蘆 重要文化財
⑫旧天瑞寺寿塔堂 重要文化財
⑬蓮華院
⑭海岸門
<茶屋または待春軒で昼食>
■外苑
⑮旧燈明寺三重塔 重要文化財
⑯林洞庵
⑰横笛庵
⑱旧東慶寺仏殿 重要文化財
⑲旧矢箆原家住宅 重要文化財
⑳旧燈明時本堂 重要文化財
㉑大池の周りをまわって正門へ
※⑤三渓記念館、⑲旧矢箆原家住宅以外は外観見学のみ
※④臨春閣は特別公開時のみ内部の見学が可能