「特急スーパービュー踊り呼号」で1時間15分。
熱海に到着~。
熱海の商店街は試食天国。何を食べようか、迷っちゃう。
到着がお昼過ぎだったので、そろそろおなかがへってきたな。と商店街を歩く。
ここまで来て洋食はなぁ・・・でも、魚は夕飯のお食事に出そうだし・・・と思っていたところで手打ちうどん、手打ちそばのお店を発見。
中に入ると店内はお客さんでいっぱいでした。
駅から商店街を歩き、しばらくしたところにあったお店。
これがなかなかのお味でした♪
友達が頼んだ鴨せいろがあまりにもおいしそうだったので、写真を撮ってみました。
サラダがついていたりと思った以上のボリュームにびっくり。
「え!?食べきれるの!???」
私が注文したのは鴨なんばん。醤油味がきいててしっかりとした歯ごたえの鴨肉がおいしい~!
熱海温泉は奈良時代から知られている全国有数の温泉地。
「熱海七湯」といわれている源泉があります。
商店街から熱海の「サン・ビーチ」へ抜ける間に「清左衛門の湯」を発見。
覗き込んでみたのですが、お湯は噴出していないようでした。
「昔、農民の清左衛門という男が馬を走らせて、この源泉に落ちて焼け死んだのでその名がついた」 といいます。
・・・そんなんで名前がついたのか!?
「清左衛門さんも、後世まで名前が残って本望だねぇ~。」などと話しておりました。
明治時代までは常に温泉が湧き出ていたそうです。
熱海に来たならやっぱり貫一お宮之像は見なくっちゃね、と、サン・ビーチ沿いを探索。
サンビーチ沿いにある遊歩道には熱海の代表的な観光名所が石碑で飾られています。
写真は尾崎紅葉の「金色夜叉」の名場面。
ところで、金色夜叉ってどんなお話でしたっけ・・・?
(5人もいて、誰も読んだことありませんでした・・・。)
これがお宮の松。「金色夜叉の時代からあるものなのか~。」と思ったら、これは2代目だそうです。
昭和41年に現在の場所に植えられたのだそうな。
「金色夜叉」の貫一とお宮の別れのシーンを再現した像。
もちろん、この像の前で同様のポーズを。
ちょっと調べて見たところ、悲恋のストーリーのようですね。
婚約者同士であるにも関わらず、お宮が銀行家の息子に見初められ、親が勝手に縁談を受けてしまう。
最後の別れのシーンが熱海の海岸であったのが熱海が有名になった経緯。
ちなみに貫一は第一高等中学校の生徒。なるほど。だから学生服を着ているわけね。
作者の尾崎紅葉は37歳の若さで逝去。
当時、「金色夜叉」は未刊であったものの、彼のメモを参考に、彼の弟子が書き上げたそうです。
これがお宮の松。「金色夜叉の時代からあるものなのか~。」と思ったら、これは2代目だそうです。
昭和41年に現在の場所に植えられたのだそうな。
写真は初代のお宮の松の切り株(?)です。
初代のお宮の松は、昭和24年のキティ台風により崩壊した道路の修復工事の際に、海側に延びた大枝が切られてしまったり、また、観光地としての発展に伴い増加した自動車の排気ガスによって枯れてしまったそうです。
それでもやっぱり熱海の人たちは「お宮の松」を残しておきたかったんでしょうね。
初代は「切り株」として残し、後に上の写真の2代目が選定されたそうな。
サン・ビーチ側の海岸を散歩した時に撮影した1枚。山の上に熱海城が見えます。
熱海城。「城」とついているけれど、実在した城ではありません。
(山頂に立っている様子は城っぽいけど。)
観光施設なので歴史的なものは期待していなかったけど、中は城郭についての資料館があるそうな。
テレビの旅番組で放送していたのですが、熱海は海岸線がモナコ公国のビーチに似ていると言われていて、「東洋のモナコ」といわれているそうな。これはその場所ではないけど、ゆるりとカーブする海岸線がモナコっぽい!?
海岸沿いに建ててあった看板。
右上に見えるのが熱海城です。熱海城からは晴れた日には房総半島まで眺めることができるそうな。
写真には入りきらなかったんだけど、このマップの下の方には同じく温泉で有名な伊豆山地方があります。