島原・天草・熊本の城とキリシタン遺産巡り② 「海の天主堂」畳敷きの崎津教会へ

崎津教会
崎津教会

 

2021年3月の島原・天草・熊本の城めぐりの旅。大江天主堂をあとにし、世界文化遺産に認定された崎津集落へ向かいます。

世界化遺産長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」には12件が認定されています。どれもこの地方にしか見られない日本独自のキリスト教信仰の歴史を語ってくれる遺産です。

日本におけるキリスト教信仰の広まりは、フランシスコ・ザビエルにより日本にもたらされたことから始まります。その後、激しい弾圧と250年間もの潜伏期間を経てキリスト教信仰の復活を遂げました。ポルトガル人からもたらされたカトリックのキリスト教は、禁教の時代、潜伏期間を経て、この土地独自の信仰に変わっていきました。長崎・天草地方にはキリスト教関連の遺跡や集落や教会が今も残っていて、特に崎津集落には潜伏キリシタンが信仰に使用していた鏡や貝類などが残っているんです。

1.潜伏キリシタンと隠れキリシタンの違い

ワタシが歴史の授業で習ったのは「江戸時代の禁教令後も隠れてキリスト教を信仰した人たち」と説明されていましたが、現在の言葉の定義は下記のように分けられています。

1614年の禁教令後にキリスト教を信仰していた人々を「潜伏キリシタン」と呼んでいて、1873年の禁教令の撤廃後にさらに2つに分かれます。

  • 隠れキリシタン 禁教令撤廃後も先祖代々が信仰していた宗教を信仰し、カトリックに戻らない人たち
  • カトリック   カトリックに改宗

今回、世界遺産に認定されたのは、潜伏キリシタンを経て隠れキリシタンとして日本独特のキリスト教信仰をはぐくんでいた希少性が認められたというわけです。

 

2.崎津諏訪神社から崎津の街並みを眺める

崎津教会と崎津神社の間にある中町駐車場に車を停め、雨の中を散策開始。まずは崎津諏訪神社へ向かいます。

崎津神社の鳥居
崎津神社の鳥居

この崎津諏訪神社は鳥居越しに崎津教会が見えるというインスタ映えスポット。この季節だけの桜も咲いていて良い時期だっただけに、天気が悪かったのが残念。

崎津神社の鳥居と崎津教会
崎津神社の鳥居と崎津教会

崎津諏訪神社は「天草崩れ」の舞台となった場所。「崩れ」とは、大勢のキリシタンが一つの地方で発覚すること。「ブラタモリ」の島原・天草編でもでてきましたね。

江戸時代後期の1805年(文化2年)に大江村、﨑津村、今富村、高浜村で計5,205人、崎津村にいたっては村民の70%である1,709人のキリシタンが検挙されました。この吟味を行った場所がこの崎津諏訪神社です。この時の調書には、信者が「あんめんりゆす(アーメン デウス)」と唱えていたという証言が残っています。
彼らの主張は「自分たちは『切支丹』ではなく先祖代々が信仰していた「異宗」または「異法」である」ということでしたが、これを知った代官所の役人は大慌て!キリシタンが存在していたことがわかったら幕府からどんなお咎めを受けるか・・・。
キリシタンたちには「踏み絵」をさせ、「異宗」回心の誓約に押印させることで赦免しました。その際にこの神社の境内に設置した箱に信心具を投げ捨てるように指示したことが記録にも残っています。幕府には「この集落の人間は『異宗』を信じていた「宗門心得違いの者」と届け出し、穏便にその場をまとめました。

島原の乱がキリシタン弾圧が一因であったことから一揆を誘発させないように、また長い間キリシタン摘発ができていなかったことと対応の遅延を厳罰化されないように免れるために、両者にとってデメリットがないように着地させました。

 

3.旧崎津教会跡

1873年のキリスト教解禁後の1888年(明治21年)に崎津に建てられた教会の跡地が崎津諏訪神社へ行く道すがらにあります。

左に旧崎津教会跡
左に旧崎津教会跡

写真の左上にある家に十字架が立っているのがわかりますか?白いマリア様のような像が立っていたのだけど、民家だと思って撮影しませんでした。この建物は旧崎津教会のシスターが寝泊まりしていた修道院(1957年建造)が今も建っています。

 

3.崎津教会(崎津天主堂)

現在の崎津教会は1934年(昭和9年)に長崎の建築家でカトリックの教会堂を多く手掛けた鉄川与助により建てられました。与助は家業が大工で、彼は生まれた五島列島で大工として働いていましたが、教会の建設を手伝ったことをきっかけに西洋建築に興味を持ち、神父らから建築について学びました。

1906年(明治39年)に与助は家業を継いで鉄川組を立ち上げ、翌年、28歳の時に五島列島で冷水教会を建設します。その後に建設した五島列島の野崎島の旧野首教会は現在は野崎島が無人島となっているため信徒がいない状態ですが、世界遺産を構成する「野崎島の集落」のひとつとして今も残っています。

1933年(昭和8年)に大江教会を建てた翌年にこの崎津教会を手掛けています。

崎津教会
崎津教会

細い路地の先に建つ崎津教会。絵になる。

旧跡地ではなく、なぜこの場所に建てられたかというと理由があります。
この場所は吉田庄屋役宅跡。禁教期にはここで踏み絵が行われていたのです。解禁後、フランス人のハルプ神父によってこの場所が選ばれました。キリスト教弾圧の象徴であった場所を上書きするように祭壇を置いたというわけですね。

崎津教会
崎津教会

崎津教会は正面から見るとコンクリート造りのゴシック様式の重厚な建物のように見えるが、ところどころが和洋折衷になっていて面白い。
横から見ると・・・増築?後ろの部分が木造になっている。当初はすべてコンクリート造りの予定でしたが、ハルブ神父と住民からの寄付では賄えなくなり、資金不足で途中で木造に切り替えられたからだそうな。

そして聖堂内も和洋折衷で、リブ・ヴォールト天井でアーチがたくさん連なっていて洋風だけど、床は畳敷き。これは建設当初からだそうで、信者は畳の上に座ってミサに参加していたそうです。

崎津教会 絵葉書
崎津教会 絵葉書

聖堂内は撮影不可なのでぜひ絵葉書を買ってください!

 

時間があるならぜひ、対岸に渡ってみてください。崎津教会は対岸から見るのもおすすめなのです。

対岸から眺める崎津教会
対岸から眺める崎津教会

漁師町の中にある崎津教会。「海の天主堂」という通称がしっくりくる眺めです。

対岸から眺める崎津教会
対岸から眺める崎津教会

崎津のボランティアさんたちにいただいた「天草の崎津集落散策マップ」に「教会撮影スポット」として掲載されています。車も停められてちょうど良いスペースです。

 

崎津天主堂

住所:熊本県天草市河浦町﨑津539
Tel:0969-78-6000 崎津集落ガイダンスセンター
営業時間:9:00~17:00
※2021年7月現在、見学は予約制です。
入場料:無料

コロナ期間中は営業日、営業時間は変更になる可能性があるので公式サイトで確認してください。

 

<崎津集落編に続く>

 

城関係は城ブログ「お城に恋して」で更新中。こちらからご覧ください。

 

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