ゴールデンウィーク最終日に東京をお散歩。
大河ドラマ「花燃ゆ」で出てきたあの人達の足跡をたどるお散歩をしてきました。
松陰神社・世田谷城・豪徳寺 3時間散歩
当初の目的は「豪徳寺に行って招き猫を見てきたい」。
豪徳寺まで行くなら、世田谷城にも行こう!ということで、行ってきました。世田谷散歩。
豪徳寺駅から歩いて豪徳寺、世田谷城まで行けるけど、世田谷線に乗ったことがなかったので、世田谷線沿線から行くことに。
で、世田谷線に乗って駅名を眺めていたら、「松陰神社前駅」とある。
世田谷の松陰神社って、世田谷線で行けたんだ。じゃ、行ってみよう♪と、途中下車。
松陰神社前駅から歩いて約5分。
大河ドラマ「花燃ゆ」で吉田松陰が亡くなった直後ということもあり、賑わっていました。
ご祭神は吉田寅次郎藤原矩方命(よしだとらじろう ふじわらのりかたのみこと)。松陰先生が神として祀られています。
案内板によると、安政の大獄で捕まって江戸の伝馬町の獄中で30歳亡くなった後、4年後の文久3年(1863)に高杉晋作、伊藤博文らによって、当時長州藩の所領であり、大夫山(だいぶやま)と呼ばれていたこの場所に改葬されたそうです。
そして明治15年(1882)11月に門下の人々が相談し、松陰先生の御霊を祀る神社を創建したそうです。
人が亡くなって神として祀られるってレアケースだよな。
それだけ、慕われていたということなのでしょうけど、歴史が変わって、もし、長州が攘夷派・倒幕派から佐幕派に変わっていたら、どうなっていたんでしょうなぁ。
珍しい真っ黒な鳥居の先には御社殿が。
そこにたどり着くまでには、何回か建て替えられた時の旧鳥居柱や道標として使われていた石碑などがありました。
当時の権威者たちにものすごく大切にされてきたというのがそれからでもわかる。
御社殿で参拝した後、ふらふらしていたら、おっ!?あれは!?
世田谷に松下村塾があったぞ!!!
こんなところに松下村塾があるとは。
松下村塾については、昨年、萩に行った時のことを書いたこちらをどうぞ。
おぉ。萩の松陰神社の松下村塾と同じだ!
世田谷の松陰神社にあるこの建物は、萩で保存されている松下村塾の建物を模したものだそうです。
写真では死角になっていますが、この講義室の左奥にある、玄関から続く小部屋は塾生の待機部屋だったそうな。
こちらが入口。土間です。
あれ?こんなに小さかったっけ?なんか違和感が。
と思ったら、よく見る「松下村塾」の建物は、この写真の先にさらに井戸があった。
だから建物のが大きく見えたのかもな。
そして、せっかく来たのだからと松陰先生のお墓参りにも。
ちょっと奥まったところにある松陰精製のお墓。
墓所に入る直前の鳥居。みんなスルーしてたけど・・・。
およっ!?木戸大江孝允と書いてある。
これって木戸孝允(桂小五郎)のことだよな。
戻ってきて調べてみたら、あの木戸孝允でした。
松陰先生の墓所の修復の際に木戸孝允がこの鳥居を寄進したそうです。
松陰神社に行くなら、この鳥居も要チェックね
この墓所には、吉田松陰以外にも頼三樹三郎などの墓碑があります。
案内板によると、禁門の変の後、長州征伐を行った幕府により、松陰先生以下のお墓は破壊されたのだけど、木戸孝允らによって明治元年(1868)に修復されたそうです。
よくお墓がちゃんと残っていたなぁと思っていたら、やはり一度は破壊されていたのね・・・。
それでもその後、徳川家と断絶状態だったかというとそうではなく。
松陰先生の墓碑の前にある葵紋のついた石燈籠とその向かいにある水盤は、お墓を修復したという話を聞いた徳川氏から謝罪の意を込めて奉納されたものなんだそうです。
平和な明治の世の中になってから、遺恨を残さないということで、「方を付けた」ということなのでしょうか。
松陰神社の御朱印。今日の記念に。
<世田谷散歩 世田谷城編へ続く>
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